第3章

さて、ここまで現実世界について考察してきました。

現実世界とは、主体としての私の登場しない現実世界そのもののことを指します。そして、これを内省することによって、様々な私秘的なものが見出されるのですが、これらを総称したものが主体としての私です。

これを踏まえて、ここからは現実世界と心の関係について考察します。

主体としての私の大部分を占めるのが、この「心」と呼ばれるものでしょう。私たちが自らのことを主体的な存在だと自負しているのは心があるからです。しかし、古今東西を通じて心の研究はずっと続けられていますが、その概観について私たちが明確に把握しているとは言い難いのが現状です。そこで、心を敢えて単純化し、せめてその輪郭だけでも明確にしようというのが本章の目標です。

第3章

第1節 思いは私秘的ではない

目の前にコーヒーカップがある。これは無像論で明らかなように、厳密に言えば、私にコーヒーカップが見えているということではありません。コーヒーカップは身体としての私に見られるのでも、主体としての私に見られるのでもなく、まずもって主体としての私の...
第3章

第2節 心の状態は内省である

前節で、思いは私秘的ではなく、目の前のコーヒーカップ同様、実在であるということを考察しました。そこで次に、では常識的な解釈に反して、本来的な意味での私秘的な心は存在しないのかという考察に移ります。私は心の中で様々なことを思います。それは色や...
第3章

第3節 現実世界の全体性

前節で、心的状態は私の思いや言動を内省することによって見出される内在的原因であるということを考察しました。ここでは、心的状態が内在的原因として働いているのは、本当に思いや言動だけだろうかということを見ていきます。通常、心的状態には、これまで...
第3章

第4節 心的状態の全体性

心的状態は像と同様、内省です。しかし、像とは異なる点があります。それは、像が誰にとっても同じように生じる所与的なものであるのに対し、心的状態は各人各様であるという意味において自発的だということです。そうであれば、それによって何らかの違いが見...